並行な混沌: 情報技術者の定義
(初出: Kenji Rikitake's Cyberscope: 21-MAR-2001)
● コンピュータの起源は、アングロサクソン文化にある。(ラテン文化ではない。ましてや、アジアやアラブ、アフリカの文化ではない。)
世界最初に計算量理論と自動機械の理論を打ち立てたのは John von Neumann と Alan Turing である。
von Neumann はハンガリーの出身だが、彼はアメリカ合衆国に尽し、その世界戦略に大きな影響を与えた。
故に彼は(過去ドイツなどにいたことは無視できないが)アメリカ人として評価すべきである。
Alan Turing は英国人である。
この両者の業績に比べれば、他の人々の業績は取るに足らない。
● インターネットもコンピュータと同様アングロサクソン文化の産物であり、その文物である。
社会のインターネット化を支持することは、本質的にアングロサクソン文化の一側面を支持していることに他ならない。
フランスやイスラム諸国が現在の情報技術の主流に対して異議を示していることは当然の帰結である。
しかし、彼等は本流にはなり得ない。
● コンピュータ技術は本質的にアングロサクソン文化の継承物であるため、基本的にその中心言語は英語となる。
故に国際化(internationalization)は、問題解決の上での最優先事項にはならない。
国際化は、各国の技術者の紛争と権力闘争の結果として、最終的に実現されるものである。
始めに国際化ありき、では、現実の技術者同士での意見交換は不可能である。
「アングロサクソン文化」の意味するところ=定義によりけりだな。
パックス・ブリタニカ、パックス・アメリカーナ等によって築かれた文化、ということだろうか?
アングロ・サクソン人 - Wikipedia
アングロ・サクソン人(Anglo-Saxons)は、5世紀頃、現在のドイツ北岸、南部よりグレートブリテン島に侵入してきたアングル人、ジュート人、サクソン人のゲルマン系の3つの部族の総称である。
この中でサクソン人が、イングランド人としてイングランドの基礎を築いた。
確かに、プログラム言語の予約語は、英単語がほとんどだ。
プログラミング言語=英語の文化と。
日本語でプログラムが書けるプログラム言語もあるにはあるけど、メジャーとは言えない。
それでも、プログラミングで民族主義というか、日本語でコードが書けなかればいけない、という必然性を感じたことはないな。
民族主義のこだわり(プライド)を、プログラミングの世界に持ち込む必要性はないだろう。
IT技術をどのように活用していくか?
そのアイデア、コンセプトは、民族主義の視野狭窄にとらわれずに、グローバルかつ未来的な視点で考えていきたい。