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    死のリアリティ~スティーブ・ジョブズ最期の言葉

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    10月31日のハロウィンは、お盆のように死者の復活祭という意味合いがあるそうだ。
    ハロウィンを翌日に控えた10月30日、スティーブ・ジョブズ氏の妹であるモナ・シンプソンさんの追悼文が、ニューヨーク・タイムズ誌に掲載された。

    (原文) A Sister’s Eulogy for Steve Jobs - NYTimes.com
    (翻訳) 妹からスティーブ・ジョブスへの弔辞

    この追悼文の中で、スティーブ・ジョブズ氏の、最期の様子が明かされていた。
    死ぬときに発した言葉は、
    OH WOW. OH WOW. OH WOW.
    だったという。

    wowの検索結果:英辞郎 on the WEB

    【1間投】 ワオ!、わあ!◆喜び・驚きなどを表す
    【1名】 〔ワオ!と叫ぶほどの〕大成功
    【1他動】 あっと言わせる、大喜び[感動・熱狂・エキサイト]させる、大向こうをうならせる◆【類】impress



    一体、何が「ワォ」だったのか?

    スティーブ・ジョブズ I
    ウォルター・アイザックソン
    講談社
    2011-10-25
    ★★★★☆


    ●対訳
    英語の勉強も兼ねて、対訳をまとめてみた。
    原文訳文




    Op-Ed Contributor
    特集寄稿者
    A Sister’s Eulogy for Steve Jobs
    妹からスティーブ・ジョブスへの弔辞
    By MONA SIMPSON
    モナ・シンプソン
    Published: October 30, 2011
    2011年10月30日

    I grew up as an only child, with a single mother.
    私は母子家庭の一人っ子として育てられました。
    Because we were poor and because I knew my father had emigrated from Syria, I imagined he looked like Omar Sharif.
    貧しかったので、そして父はシリアからの移民だと教えられていたので、
    父については、オマル・シャリーフのような人ではないかと想像していました。

    I hoped he would be rich and kind and would come into our lives (and our not yet furnished apartment) and help us.
    裕福な人であればいいなと、いつか私たちの(いまだに家具も揃っていない)家に迎えに来てくれればいいなと思っていました。
    Later, after I’d met my father, I tried to believe he’d changed his number and left no forwarding address because he was an idealistic revolutionary, plotting a new world for the Arab people.
    のちに面会したとき、私は、父は理想に燃える革命家で、アラブの新世界を導く人だったのだと、
    だから転送先を残さずに住所を変えてしまったのだと思い込もうとしました。


    Even as a feminist, my whole life I’d been waiting for a man to love, who could love me.
    私はフェミニストでありながら、自分が愛せる、自分を愛してくれる人を長いあいだ探していました。
    For decades, I’d thought that man would be my father.
    二十数年間、父がその人なのだろうと思っていました。
    When I was 25, I met that man and he was my brother.
    25歳になってその人に出会いました。
    それが兄でした。


    By then, I lived in New York, where I was trying to write my first novel.
    私は当時、ニューヨークで処女作を書こうとしていました。
    I had a job at a small magazine in an office the size of a closet, with three other aspiring writers.
    他の作家志望者3人と一緒に、クローゼット並の大きさの事務所で小さな雑誌の仕事をしていました。
    When one day a lawyer called me ― me, the middle-class girl from California who hassled the boss to buy us health insurance ― and said his client was rich and famous and was my long-lost brother, the young editors went wild.
    ある日、弁護士が私に電話をかけてきました。
    その弁護士は、上司に健康保険をねだるような、カリフォルニアの中流階級の娘である私に、
    「裕福で、著名で、あなたのお兄さんである人物の代理人だ」と名乗りました。
    同僚編集者たちは騒然となりました。

    This was 1985 and we worked at a cutting-edge literary magazine, but I’d fallen into the plot of a Dickens novel and really, we all loved those best.
    時は1985年、そこは新興文芸雑誌の事務所、
    それでも私は大好きなディケンズの小説の筋書きに放り込まれたようでした。

    The lawyer refused to tell me my brother’s name and my colleagues started a betting pool.
    弁護士は兄の名を伝えるのを拒み、同僚たちは賭けを始めました。
    The leading candidate: John Travolta.
    一番人気の候補は、ジョン・トラボルタ。
    I secretly hoped for a literary descendant of Henry James ― someone more talented than I, someone brilliant without even trying.
    私が密かに期待していたのはヘンリー・ジェイムズの後継者、
    何の苦もなく優れた作品を生み出す、自分より才能のある作家でした。


    When I met Steve, he was a guy my age in jeans, Arab- or Jewish-looking and handsomer than Omar Sharif.
    初めて会ったとき、スティーブは私と同じ年格好で、ジーンズを履いていました。
    オマル・シャリーフよりもハンサムな、アラブかユダヤの顔立ちでした。


    We took a long walk ― something, it happened, that we both liked to do.
    私たちは長い散歩をしました。
    偶然にも二人ともそうするのが好きでした。

    I don’t remember much of what we said that first day, only that he felt like someone I’d pick to be a friend.
    何を話したのかはあまり覚えていませんが、
    とにかく友達にしようと思えるような人だと感じたのは覚えています。

    He explained that he worked in computers.
    彼はコンピュータ企業で働いていると言いました。

    I didn’t know much about computers.
    コンピュータのことはあまり知りませんでした。
    I still worked on a manual Olivetti typewriter.
    私はまだオリヴェッティのタイプライターを使っていましたから。

    I told Steve I’d recently considered my first purchase of a computer: something called the Cromemco.
    コンピュータを一台、初めて買おうかと思っているとスティーブに言いました。
    クロメンコという名前でした。


    Steve told me it was a good thing I’d waited.
    スティーブは、そのときまで待ったのは良かったと言いました。
    He said he was making something that was going to be insanely beautiful.
    彼は、恐ろしく美しいものを作ろうとしていると言いました。

    I want to tell you a few things I learned from Steve, during three distinct periods, over the 27 years I knew him.
    これから、スティーブから学んだことをいくつかお伝えしたいと思います。
    三つの期間、合計27年間に渡って、私は彼を知っています。

    They’re not periods of years, but of states of being.
    期間を区切るのは年数ではなく、生き様です。
    His full life.
    彼の充実した人生。
    His illness.
    彼の病気。
    His dying.
    彼の死。

    Steve worked at what he loved.
    スティーブは自分の愛するものを仕事にしました。
    He worked really hard.
    彼は頑張って働きました。
    Every day.
    毎日働きました。

    That’s incredibly simple, but true.
    とても単純ですが、本当のことです。

    He was the opposite of absent-minded.
    彼は散漫の対極のような人でした。

    He was never embarrassed about working hard, even if the results were failures.
    彼は、たとえ失敗に終わるとしても、頑張ることを恥とはしませんでした。
    If someone as smart as Steve wasn’t ashamed to admit trying, maybe I didn’t have to be.
    スティーブのように聡明な人が挑戦を恥じないのであれば、私も恥じる必要はないのかもしれません。

    When he got kicked out of Apple, things were painful.
    彼はAppleを追い出されて、つらい時期を過ごしました。
    He told me about a dinner at which 500 Silicon Valley leaders met the then-sitting president.
    彼はシリコンバレーの指導者500人が次期社長を迎えるディナーのことを話してくれました。
    Steve hadn’t been invited.
    スティーブはそこに招待されなかったのです。

    He was hurt but he still went to work at Next.
    彼は傷つきましたが、 NeXT に行って働きました。
    Every single day.
    毎日働きました。

    Novelty was not Steve’s highest value.
    Beauty was.
    スティーブにとって最高の価値は、新規性ではなく、美しさでした。

    For an innovator, Steve was remarkably loyal.
    イノベーターにしては珍しく、スティーブは物事に忠実でした。
    If he loved a shirt, he’d order 10 or 100 of them.
    シャツが気に入れば、同じものを百枚注文しました。
    In the Palo Alto house, there are probably enough black cotton turtlenecks for everyone in this church.
    パロアルトの家には、黒いコットンのタートルネックが、
    おそらくこの教会にいる全員分はあると思います。


    He didn’t favor trends or gimmicks.
    彼は流行や小道具を好みませんでした。
    He liked people his own age.
    自分と同世代の人が好きでした。

    His philosophy of aesthetics reminds me of a quote that went something like this: “Fashion is what seems beautiful now but looks ugly later; art can be ugly at first but it becomes beautiful later.”
    彼の美学はこういう言葉を思い起こさせます。
    「ファッションとは、美しく見えるがのちに醜くなるもの。芸術とは、最初醜く見えるがのちに美しくなるもの」


    Steve always aspired to make beautiful later.
    スティーブはいつも、のちに美しくなるようにしようとしていました。

    He was willing to be misunderstood.
    彼は誤解を受けるのを恐れませんでした。

    Uninvited to the ball, he drove the third or fourth iteration of his same black sports car to Next, where he and his team were quietly inventing the platform on which Tim Berners-Lee would write the program for the World Wide Web.
    パーティに招かれなかった彼は、三台目か四台目の同じ黒いスポーツカーで NeXT に通い、
    あるプラットフォームを、チームとともに静かに作っていました。
    それは、ティム・バーナーズ・リーがのちに、
    ワールドワイドウェブを動かすプログラムのために使われることになるものでした。





    Steve was like a girl in the amount of time he spent talking about love.
    愛について話す時間のあいだ、スティーブは少女のようでした。
    Love was his supreme virtue, his god of gods.
    愛は彼にとってこの上ない美徳であり、最高の神でした。
    He tracked and worried about the romantic lives of the people working with him.
    彼はいつも、一緒に働く人々の恋愛生活を気にしていました。

    Whenever he saw a man he thought a woman might find dashing, he called out, “Hey are you single? Do you wanna come to dinner with my sister?”
    女性が気に入るかもしれない男性を見つけると、
    「独身なのか? うちの妹とディナーはどうだい?」と声をかけました。


    I remember when he phoned the day he met Laurene.
    彼がローリンと出会った日にかけてきた電話を、今でも思い出します。
    “There’s this beautiful woman and she’s really smart and she has this dog and I’m going to marry her.”
    「こんなに美しくて、頭がよくて、こんな犬を飼っていてる人なんだけど、結婚するつもりだよ」

    When Reed was born, he began gushing and never stopped.
    リードが生まれて以来、彼は止まることなく家族に愛情を注ぎ続けました。
    He was a physical dad, with each of his children.
    彼はどの子にとっても実の父親でした。
    He fretted over Lisa’s boyfriends and Erin’s travel and skirt lengths and Eve’s safety around the horses she adored.
    リサの彼氏と、エリンの旅行と、スカートの長さと、イヴの愛馬についてやきもきしていました。

    None of us who attended Reed’s graduation party will ever forget the scene of Reed and Steve slow dancing.
    リードの卒業パーティに出席した人はみな、リードとスティーブのゆっくりとしたダンスを忘れられないでしょう。

    His abiding love for Laurene sustained him.
    ローリンに対する変わることのない愛が彼を生き延びさせました。
    He believed that love happened all the time, everywhere.
    愛はいつでも、どこでも発露するものだと彼は信じていました。
    In that most important way, Steve was never ironic, never cynical, never pessimistic.
    スティーブは皮肉や冷笑や悲観とは無縁でした。
    I try to learn from that, still.
    私は今も、そのことを学ぼうとしています。

    Steve had been successful at a young age, and he felt that had isolated him.
    スティーブは若くして成功した人でした。
    彼はそのことで孤独を感じていました。

    Most of the choices he made from the time I knew him were designed to dissolve the walls around him.
    私が知るかぎり、彼の選択のほとんどは自分のまわりに巡らされた壁を壊すためのものでした。
    A middle-class boy from Los Altos, he fell in love with a middle-class girl from New Jersey.
    ロスアルトスから来た中流の男が、ニュージャージーから来た中流の女に恋をする。
    It was important to both of them to raise Lisa, Reed, Erin and Eve as grounded, normal children.
    二人にとって、リサとリードとエリンとイヴを普通の子供として育てることは重要でした。
    Their house didn’t intimidate with art or polish; in fact, for many of the first years I knew Steve and Lo together, dinner was served on the grass, and sometimes consisted of just one vegetable.
    彼らの家には押し付けがましい美術品などはありませんでした。
    スティーブとローリンが一緒になったことが分かってから何年間ものあいだ、
    夕食は芝生で食べていましたし、食事が野菜一種類だけだったこともありました。

    Lots of that one vegetable.
    一種類の野菜をたくさん。
    But one.
    一種類だけです。
    Broccoli.
    ブロッコリー。
    In season.
    旬の野菜。
    Simply prepared.
    簡単な調理。
    With just the right, recently snipped, herb.
    とれたてのハーブなど、適切なものを適切なだけ。

    Even as a young millionaire, Steve always picked me up at the airport.
    若き億万長者でありながら、スティーブはいつも私を迎えに空港まで来てくれました。
    He’d be standing there in his jeans.
    ジーンズを履いて待っていてくれました。

    When a family member called him at work, his secretary Linetta answered, “Your dad’s in a meeting. Would you like me to interrupt him?”
    家族が会社に電話をしたときには、秘書のリネッタが
    「お父さんは会議中ですが、お呼びしたほうがいいですか?」と答えてくれました。


    When Reed insisted on dressing up as a witch every Halloween, Steve, Laurene, Erin and Eve all went wiccan.
    リードが毎年ハロウィンに魔女のかっこうをしたがったときには、
    スティーブ、ローリン、エリン、イヴも魔女になりました。


    They once embarked on a kitchen remodel; it took years.
    彼らはキッチンの改装に取りかかったことがあります。
    何年もかかりました。

    They cooked on a hotplate in the garage.
    そのあいだガレージでホットプレートを使って料理をしました。
    The Pixar building, under construction during the same period, finished in half the time.
    同じころ建設されていた Pixar のビルはその半分の時間で完成しました。
    And that was it for the Palo Alto house.
    パロアルトの家の中はどこもそんなかんじでした。
    The bathrooms stayed old.
    バスルームは古いままでした。
    But ― and this was a crucial distinction ― it had been a great house to start with; Steve saw to that.
    ただし、これが重要なところなのですが、その家は最初の時点ですばらしい家でした。
    スティーブは目利きでしたから。


    This is not to say that he didn’t enjoy his success: he enjoyed his success a lot, just minus a few zeros.
    彼が成功を満喫しなかったというわけではありません。
    そのほとんどすべてを満喫していていました。

    He told me how much he loved going to the Palo Alto bike store and gleefully realizing he could afford to buy the best bike there.
    パロアルトの自転車屋に行って店内を眺めて、
    その店で最高の自転車が買えるんだと自覚するのが大好きだと話していました。


    And he did.
    そして実際、買いました。

    Steve was humble.
    スティーブは謙虚でした。
    Steve liked to keep learning.
    スティーブは学びつづけるのが好きでした。

    Once, he told me if he’d grown up differently, he might have become a mathematician.
    彼はある日、育ち方が違っていれば自分は数学者になっていたかもしれない、と言いました。
    He spoke reverently about colleges and loved walking around the Stanford campus.
    彼は大学について尊敬を込めて語り、スタンフォードのキャンパスを歩くのが好きでした。
    In the last year of his life, he studied a book of paintings by Mark Rothko, an artist he hadn’t known about before, thinking of what could inspire people on the walls of a future Apple campus.
    最後の数年間、彼はマーク・ロスコの絵画の本を研究していました。
    それまで知らなかった美術家を知ってから、
    未来のAppleのキャンパスの壁に何があれば皆を刺激できるだろうと考えていました。


    Steve cultivated whimsy.
    スティーブは教養を身につけていました。
    What other C.E.O. knows the history of English and Chinese tea roses and has a favorite David Austin rose?
    イギリスと中国のバラの栽培の歴史を知り、デビッド・オースティンのバラを持つCEOが他にいるでしょうか?

    He had surprises tucked in all his pockets.
    彼はいくつものポケットにいっぱいのサプライズを持っていました。
    I’ll venture that Laurene will discover treats ― songs he loved, a poem he cut out and put in a drawer ― even after 20 years of an exceptionally close marriage.
    たとえ二十年間人並み外れて近しく寄り添ったあとであっても、
    きっとローリンにはこれから発見するものがあるだろうと思います。
    彼が愛した歌、彼が切り抜いたポエム。

    I spoke to him every other day or so, but when I opened The New York Times and saw a feature on the company’s patents, I was still surprised and delighted to see a sketch for a perfect staircase.
    彼とは一日おきくらいに話をしていたのですが、
    ニューヨークタイムズを開いて会社の特許の特集をみたとき、
    成功へ上りつめるためのスケッチがまだあったのかと驚きうれしくなりました。


    With his four children, with his wife, with all of us, Steve had a lot of fun.
    四人の子と、妻と、私たちみなに囲まれて、スティーブは楽しい人生を送りました。

    He treasured happiness.
    彼は幸福を大事にしました。




    Then, Steve became ill and we watched his life compress into a smaller circle.
    そしてスティーブが病気になり、私たちは彼の人生が狭い場所に圧縮されていくのを見ました。
    Once, he’d loved walking through Paris.
    それまで彼は、パリを散歩するのが好きでした。
    He’d discovered a small handmade soba shop in Kyoto.
    彼は京都で手打ちそばを見つけました。
    He downhill skied gracefully.
    スキーでなめらかに滑降しました。
    He cross-country skied clumsily.
    ドタドタとクロスカントリーをしました。
    No more.
    もうできませんでした。

    Eventually, even ordinary pleasures, like a good peach, no longer appealed to him.
    最後には、日々の喜び、たとえばおいしい桃ですら、彼を楽しませることはできませんでした。

    Yet, what amazed me, and what I learned from his illness, was how much was still left after so much had been taken away.
    ですが、私が驚くと同時に彼の病気から学んだことは、
    多くのものが失われてもなお、多くのものが残っているということでした。


    I remember my brother learning to walk again, with a chair.
    兄が椅子を使って、ふたたび歩けるようになるための練習をしていたことを思い出します。
    After his liver transplant, once a day he would get up on legs that seemed too thin to bear him, arms pitched to the chair back.
    彼は肝臓移植をしたあと、一日一度、椅子の背に手を乗せ、支えにするには細すぎる足を使って立ち上がりました。
    He’d push that chair down the Memphis hospital corridor towards the nursing station and then he’d sit down on the chair, rest, turn around and walk back again.
    メンフィス病院の廊下で、椅子を押してナースステーションまで行って、
    そこで座って一休みして、
    引き返してまた歩きました。

    He counted his steps and, each day, pressed a little farther.
    彼は毎日歩みを数え、毎日より遠くまで進みました。

    Laurene got down on her knees and looked into his eyes.
    ローリンはひざまづいて彼の目を覗きました。

    “You can do this, Steve,” she said.
    His eyes widened.
    His lips pressed into each other.
    「あなたならできる」と彼女が言うと、
    彼は目を見開いて、唇を引き締めました。


    He tried.
    彼は挑戦しました。
    He always, always tried, and always with love at the core of that effort.
    いつもいつも挑戦しました。
    その試みの中心には愛がありました。

    He was an intensely emotional man.
    彼はとても直情的な人でした。

    I realized during that terrifying time that Steve was not enduring the pain for himself.
    その恐ろしい時節、私は、スティーブが自分のために痛みをこらえていたのではないことを知りました。
    He set destinations: his son Reed’s graduation from high school, his daughter Erin’s trip to Kyoto, the launching of a boat he was building on which he planned to take his family around the world and where he hoped he and Laurene would someday retire.
    目標をさだめていたのです。
    息子リードの高校卒業、エリンの京都旅行、
    家族を連れて世界を回り、退職したときにローリンと乗るために造っていた船の進水式。


    Even ill, his taste, his discrimination and his judgment held.
    病気になっても、彼の好み、彼の決意、彼の判断力はそのままでした。
    He went through 67 nurses before finding kindred spirits and then he completely trusted the three who stayed with him to the end.
    看護婦67人を試し、優しい心があり全幅の信頼をおけると分かった三人をそばにおきました。
    Tracy. Arturo. Elham.
    トレイシー、アルチュロ、エラムです。

    One time when Steve had contracted a tenacious pneumonia his doctor forbid everything ― even ice.
    スティーブが慢性の肺炎を悪化させたとき、医師はすべてを、かき氷をも禁じました。
    We were in a standard I.C.U. unit.
    私たちは標準的なICUユニットにいました。
    Steve, who generally disliked cutting in line or dropping his own name, confessed that this once, he’d like to be treated a little specially.
    スティーブは普段割り込んだり自分の名前にものを言わせたりすることを嫌っていましたが、
    このときだけは、少し特別な扱いをしてほしいと言いました。


    I told him: Steve, this is special treatment.
    「これが特別治療だよ」と私は伝えました。

    He leaned over to me, and said: “I want it to be a little more special.”
    彼は私のほうを向いて、「もう少し特別にしてほしい」と言いました。

    Intubated, when he couldn’t talk, he asked for a notepad.
    挿管されて喋ることができなかったとき、彼はメモ帳を頼みました。
    He sketched devices to hold an iPad in a hospital bed.
    そしてiPadを病院のベッドに備え付けるための装置のスケッチを描きました。
    He designed new fluid monitors and x-ray equipment.
    新しい液晶とX線装置を設計しました。
    He redrew that not-quite-special-enough hospital unit.
    特別さが足りないと言ってユニットをもう一度描き直しました。
    And every time his wife walked into the room, I watched his smile remake itself on his face.
    妻が部屋に入って来るたび、彼が笑顔を作り直しているのが分かりました。

    For the really big, big things, you have to trust me, he wrote on his sketchpad.
    一生のお願いだから、頼む、と彼はメモ帳に書きました。
    He looked up.
    You have to.
    こちらを見上げて、お願いだから、と。

    By that, he meant that we should disobey the doctors and give him a piece of ice.
    彼が言いたかったのは、医師の禁を破ってかき氷を持ってきてほしいということでした。

    None of us knows for certain how long we’ll be here.
    私たちは自分が何年生きられるか知りません。
    On Steve’s better days, even in the last year, he embarked upon projects and elicited promises from his friends at Apple to finish them.
    スティーブが健康だったころには、その最後の数年にも、
    彼はプロジェクトを立ち上げ、Appleにいる同僚に約束をしました。

    Some boat builders in the Netherlands have a gorgeous stainless steel hull ready to be covered with the finishing wood.
    オランダの造船業者は、豪華なステンレス製の竜骨を組み、板を張るのを待っていました。
    His three daughters remain unmarried, his two youngest still girls, and he’d wanted to walk them down the aisle as he’d walked me the day of my wedding.
    三人の娘はまだ結婚していません。
    下の二人には、私の結婚式で入場に付き添ってくれるように言い聞かせてくれていました。


    We all ― in the end ― die in medias res.
    私たちはみな、最後には、途中で死にます。
    In the middle of a story.
    物語の途中で。
    Of many stories.
    たくさんの物語の途中で。

    I suppose it’s not quite accurate to call the death of someone who lived with cancer for years unexpected, but Steve’s death was unexpected for us.
    ガン宣告のあと予想されたより何年も長く生きた人のことをこう呼ぶのは正しくないかもしれませんが、
    スティーブの死は私たちにとって突然でした。


    What I learned from my brother’s death was that character is essential: What he was, was how he died.
    (二人の兄弟)の死から私が学んだのは、決め手はその人のあり方だということでした。
    どんな生き方をしたかが、どんな死に方をするかを決めるのです。


    Tuesday morning, he called me to ask me to hurry up to Palo Alto.
    火曜日の朝、彼はパロアルトに早く来てほしいと電話をかけてきました。
    His tone was affectionate, dear, loving, but like someone whose luggage was already strapped onto the vehicle, who was already on the beginning of his journey, even as he was sorry, truly deeply sorry, to be leaving us.
    声には熱と愛情がこもっていました。
    同時に、それは動き出した乗り物に荷物が引っかかってしまったかのようでした。
    申し訳なさそうに、本当に申し訳なさそうに、
    私たちをおいて旅に出つつあるときのようでした。


    He started his farewell and I stopped him.
    彼がさよならを言おうとしたとき私は引き止めました。
    I said, “Wait. I’m coming. I’m in a taxi to the airport. I’ll be there.”
    「待って。行きます。空港にタクシーで行くから。きっと着くから」

    “I’m telling you now because I’m afraid you won’t make it on time, honey.”
    「間に合わないかもしれないから、今のうちに言っておきたいの」

    When I arrived, he and his Laurene were joking together like partners who’d lived and worked together every day of their lives.
    着いたとき、彼はローリンと冗談を言い合っていました。
    毎日一緒に暮らしてきた夫婦のように。

    He looked into his children’s eyes as if he couldn’t unlock his gaze.
    視線をそらすことができないかのように、子供たちの目を覗き込んでいました。

    Until about 2 in the afternoon, his wife could rouse him, to talk to his friends from Apple.
    昼2時まで、彼の妻は彼を支えてAppleの人と話させることができました。

    Then, after awhile, it was clear that he would no longer wake to us.
    そのあと、彼はもう起きていられないということがはっきりしました。

    His breathing changed.
    呼吸が変わりました。
    It became severe, deliberate, purposeful.
    つらそうに、やっとの思いで息をしていました。
    I could feel him counting his steps again, pushing farther than before.
    彼がまた歩みを数え、より遠くへ進もうとしているのが分かりました。

    This is what I learned: he was working at this, too.
    これが私が学んだことです。
    彼はこのときにも努力していたのです。

    Death didn’t happen to Steve, he achieved it.
    死がスティーブに訪れたのではありません。
    彼が死を成し遂げたのです。


    He told me, when he was saying goodbye and telling me he was sorry, so sorry we wouldn’t be able to be old together as we’d always planned, that he was going to a better place.
    彼はさよならを言い、すまないと言いました。
    約束したように一緒に年をとることができなくて、本当にすまない、と。
    そして、もっと良い場所へ行くんだと言いました。


    Dr. Fischer gave him a 50/50 chance of making it through the night.
    フィッシャー医師はその夜を越せるかどうかは五分五分だと言いました。

    He made it through the night, Laurene next to him on the bed sometimes jerked up when there was a longer pause between his breaths.
    彼はその夜を越しました。
    ローリンはベッドの横に寄り添って、息が長く途切れるたびに彼を引き寄せました。

    She and I looked at each other, then he would heave a deep breath and begin again.
    彼女と私が互いに目を交わすと、彼は深く吐き、息が戻りました。

    This had to be done.
    やらなければならないことでした。
    Even now, he had a stern, still handsome profile, the profile of an absolutist, a romantic.
    彼はいまだに、厳しいハンサムな顔立ちをしていました。
    絶対主義でロマンチストの顔立ちをしていました。

    His breath indicated an arduous journey, some steep path, altitude.
    その呼吸は困難な旅路、急峻な山道を思わせました。

    He seemed to be climbing.
    山を登っているようでした。

    But with that will, that work ethic, that strength, there was also sweet Steve’s capacity for wonderment, the artist’s belief in the ideal, the still more beautiful later.
    その意志、その使命感、その強さと同時に、
    そこにはスティーブの不思議を求める心、
    美術家として理想を信じ、のちの美しさを信じる心がありました。


    Steve’s final words, hours earlier, were monosyllables, repeated three times.
    その数時間前に出た言葉が、スティーブの最期の言葉になりました。
    それは三度繰り返す単音節の言葉でした。


    Before embarking, he’d looked at his sister Patty, then for a long time at his children, then at his life’s partner, Laurene, and then over their shoulders past them.
    船出の前、
    彼は妹のパティを見て、
    子供たちをゆっくり見て、
    人生の伴侶ローリンを見て、
    そして皆の肩の向こうを見ました。


    Steve’s final words were:
    スティーブの最期の言葉は次の通りです。

    OH WOW. OH WOW. OH WOW.




    妹が語るジョブズ氏の最期の言葉、死の瞬間まで輝き失わず - CNN

    (CNN) 10月に死去した米アップル共同創業者のスティーブ・ジョブズ氏は、最期の瞬間まで豊かな着想とひらめきに満ちていた――。ジョブズ氏の妹のモナ・シンプソン氏が30日の米紙ニューヨーク・タイムズに寄せた追悼文で、在りし日の兄の思い出を語った。

    シンプソン氏がジョブズ氏と初めて会ったのは、2人が大人になってからだった。ジョブズ氏は生後間もなく別の両親に引き取られ、生みの親の元にシンプソン氏が生まれたのはそのあとだった。

    成長したシンプソン氏は作家となり、ニューヨークで初の小説を執筆していた。そこへ弁護士から電話があり、生き別れになっていた兄が会いたがっていると告げられる。

    兄は金持ちの有名人だと知らされたが、名前は教えてもらえなかった。そしてある日会いに来たのがジョブズ氏だった。シンプソン氏が25歳の時。初対面の兄に、コンピューターを買うことを考えていると話すと、ジョブズ氏は「自分がとてつもなく美しいものを作る」と請け合ったという。

    シンプソン氏によると、ジョブズ氏は感情豊かで、愛について語ることが多かったという。1991年に結婚すると、「妻のローリーンさんへの不変の愛が支えになった」。

    膵臓(すいぞう)がんが悪化して死が目前に迫ったジョブズ氏は、カリフォルニア州の自宅にすぐ来て欲しいとシンプソン氏に電話する。その時の様子は「まるで荷物を車に詰め終えて、もう旅を始めた人のようだった。ただ、私たちの元を去ることを深く悲しんでいた」という。

    最期の瞬間まで「驚きを感じる力、アーティストとして理想を信じる力を持ち続けた」というジョブズ氏が、家族に囲まれて最期に残した言葉は「Oh wow.Oh wow.Oh wow」だった。



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    本多俊之
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    2009-01-21
    ★★★★☆



    人は どこから来て どこへ行くのか

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