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    スティグマとヴァルネラビリティ

    このエントリーを含むはてなブックマーク はてなブックマーク - スティグマとヴァルネラビリティ あとで読む
    人間は平等にできていない。
    全ての人間を等価、同じ状態にすることはできない。
    人間を観察するならば、必ず個体差が存在することに気づくはずである。

    個体差が存在する限り、人間の不平等は完全にはなくならない。
    従って、人間の不平等をなくそうとする運動は、全てが失敗するのである。
    では一体、人間は平等にはならないという前提で、どのようにして不平等と向き合っていけばよいのか?

    結論から言えば、
    (1)「個体差を生み出しているものは何か?」を知り、
    (2)生後の努力によって、個体差=自分に足りないものがあれば自分で補うしか方法がない。
    他人に与えてもらうものは、あくまでも二次的なものであり、期待しているともらえなかったときは失望に変わるだけだ。

    社会的弱者、弱い立場に置かれている人たちには、何らかの共通性や特徴、欠点があるのだろうか?
    「社会心理学」という学問分野では、人間の不平等について、いろいろと考察が重ねられてきた。
    弱者の特徴は、「スティグマ」や「ヴァルネラビリティ」という概念によって指摘されている。
    自分の欠点を知り、改善するための参考として活用できるだろうか?

    スティグマ - Wikipedia

    ・ 奴隷や犯罪者の徴、 烙印、刻印。
    ・ 聖痕 - イエスが磔刑となった際についた傷。
    ・ 不名誉や屈辱の徴。汚点、汚名。アーヴィング・ゴッフマンが「スティグマの社会学」で用いた。



    スティグマとは - はてなダイアリー

    他者や社会集団によって個人に押し付けられた負の表象・烙印。
    いわばネガティブな意味のレッテル。

    もともとは、奴隷や犯罪者であることを示す刺青などの肉体的刻印のことを指す言葉であった。
    現在流通している用法は社会学者ゴフマンが1963年『スティグマの社会学』の中で提示した。
    彼は、スティグマを負った人々への劣等視が社会的に正当化されていることを論じた。
    その結果、スティグマを負った人々は差別という形で様々な社会的不利を被ることになるのである。



    他人から与えられた評価を、自己評価(=自分で自分のことをどう思うか?)と結び付けなければいい。
    プライドの高い人~「他人に良く思われたい」、孤独に耐えられない人~「他人と仲良くしたい、愛されたい」という欲求の強い人は、他人から与えられる評価に翻弄されやすい。
    悪口を言われても、一人ぼっちになっても死ぬわけじゃないし、他人と自分を比べるだけでは、自分が何かを得られるわけではない。
    ノーベル賞をもらったり、金メダルをもらって喜ぶような人は、他人の評価に翻弄されて喜びを得ている半面、逆に叩かれたらすごく気にしてしまうのではないか?

    Socius_社会学感覚20スティグマ論

    役割としての社会的弱者
    子ども・高齢者・病者・障害者・低所得者・失業者・公害被害者といった役割
    …におかれている人びとは一般に「社会的弱者」とよばれている。
    能力中心主義の近代産業社会にあって、社会的弱者はなんらかの不利益をこうむることが多かった。
    そこで現代社会では、さまざまな福祉サービスを保障することによって、実質的な平等への努力がなされつつある。
    とはいうものの、社会的弱者は一般に暴力や犯罪の対象にされやすいし、こと企業社会においては、あいも変わらず成年男子の健常者中心の組織文化が支配している。



    スティグマとは、望ましくないとか汚らわしいとして他人の蔑視と不信を受けるような属性と定義される。
    これは、ある属性にあたえられたマイナス・イメージと考えてよい。
    スティグマとなりうる属性としては、病気・障害・老齢などの肉体的特徴、精神異常・投獄・麻薬常用・アル中・同性愛・失業・自殺企図・過激な政治運動などから推測される性格的特徴、人種・民族・宗教に関わる集団的特徴などがある。



    ゴッフマンによると、ある特定の特徴がスティグマを生むのではないという。
    たとえば、目や足が不自由なこと自体がスティグマなのではない。
    それに対する他者のステレオタイプな反応との関係がスティグマという現象なのである。
    つまりスティグマの本質は「その人の特徴に対する否定的な周囲の反応」といっていいだろう。
    だから、老一般が日本社会でスティグマになるのは、日本社会が老いの積極的意味をみいだせないでいるために、老いに対して周囲が否定的な反応しかできないことによるのである。



    誰にも訪れる「老い」。
    老いによってもたらされるスティグマは、他人の評価はともかく、自分でも無視するのは困難だろう。

    ヴァルネラビリティとは - はてなダイアリー

    社会学や現代思想の分野では「可傷性・暴力誘発性・傷つきやすさ」などと訳される。
    軍事用語やコンピュータ用語としては「脆弱性」と訳されるのが一般的。
    →vulnerability



    Socius_社会学感覚20スティグマ論

    ヴァルネラビリティと有徴性
    人類学では、攻撃を招きやすい性格のことを「ヴァルネラビリティ」(vulnerability)という。
    「攻撃誘発性」とか「被撃性」と訳される概念である。


    ヴァルネラビリティの基本要素はなにか。
    それは記号論の用語でいう「有徴性」である。
    徴(しるし)のあるのが有徴、ないのが無徴である。
    有徴な項が析出して、それによってはじめてその他大勢が「〈それ〉でないもの」として定義される。
    「フツー」とはそういうものなのである。
    ある特性だけがいつも有徴なのではない。
    状況によってなにが有徴となるかは異なる。


    たとえば、ゴッフマンがスティグマの例にだしているように、大卒という属性も、おかれている集団によってスティグマになる。
    また、帰国子女がしばしばいじめの対象になり、差別されていると感じるのが英語の時間であることは、かれらが「生きた英語」を知っているという優越のためである。
    また「女教師」「女医」ということばは、男性中心の教員の世界・医師の世界において女性が少数で有徴だったことを示している。



    「この世の現われは、嫉妬と妬みだけ」
    「出る杭は打たれる」

    人間は、生まれたときからこの世が不平等にできていることをよく知っているがゆえに、他人に対する羨望、嫉妬、ねたみを持つ。
    しかし、自分が弱者であるとか、誰かと比べて劣った人間であると自覚しても、卑屈になる必要はない。
    =卑屈さはプライドの裏返しであり、卑屈な人というのは、実はとてもプライドの高い人間なのである。

    個体差が存在するということは、言い方を換えれば、カルマが存在していると言うこともできる。
    人間の置かれている状況を、外的に観察すると「スティグマ」「ヴァルネラビリティ」という特徴に気づく。
    視点を変えて、内的に観察すると「カルマ」という要素に気づく。
    この外的な観察、内的な観察の両方が欠如している人は、不平等の仕組みを理解して、自分が置かれている状況を変えていくことが困難なのではないだろうか?
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