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    神と悪魔は自分自身とみなすグノーシス主義

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    マンガやアニメなどのファンタジーに毒されている人々は、「神」や「悪魔」といった言葉に翻弄されている。
    神や悪魔という概念が、どのような影響を人間にもたらしているのかを考察してみたい。

    結論から言うと、神や悪魔の論考について、その証明方法を確認すれば良い。
    「神」や「悪魔」が実在するなら、「目の前に連れてきて見せてみろ?」と言えば、簡単に真偽が判明する単純な話だ。

    ほとんどの人は、真実ではない妄想を楽しんでいるだけに過ぎず、イメージの中で遊んでいる。
    人生は有限であり、時間は貴重なリソースだ。
    妄想で時間を浪費するのは、哀れな愚者の特徴である。

    ●グノーシス主義とは?
    グノーシス主義 - Wikipedia

    グノーシス主義(Gnosticism)またはグノーシスは、1世紀に生まれ、3世紀から4世紀にかけて地中海世界で勢力を持った宗教・思想である。物質と霊の二元論に特徴がある。英語の発音は「ノーシス」である。普通名詞としてのグノーシスは、古代ギリシア語で「認識・知識」を意味する。グノーシス主義は、自己の本質と真の神についての認識に到達することを求める思想傾向にあたる。
    グノーシス主義は、地中海世界を中心とするもの以外に、イランやメソポタミアに本拠を置くものがあり、ヘレニズムによる東西文化のシンクレティズムの中から形成されたとみれる。代表的なグノーシス主義宗教にマニ教がある。



    「神」とその派生概念である「悪魔」は、自分の外部に存在する者ではなく、自分の内部に存在する者であると解釈すれば、ほとんどの問題は説明可能となる。

    つまり、
    ・神=自分
    ・悪魔=自分
    という公式が成り立つ。

    自分自身が神の要素を発現したり、悪魔の要素を発現したりしている。
    自分自身が、あるときは神に、また別なときには悪魔になっている。
    なぜか?

    ●自分の本質
    自分の本質とは何か?という議論が古今東西に渡り、展開されている。

    なぜ私は私なのか - Wikipedia

    「なぜ私は私なのか」(なぜわたしはわたしなのか、英:Why am I me ?)は哲学の一分野である形而上学、または心の哲学の領域で議論される問題のひとつ。
    哲学者デイヴィッド・チャーマーズが提出した「意識の難問(The Hard Problem of Consciousness)」という概念と対比させて「意識の超難問(The Harder Problem of Consciousness)」と言われることもある。



    西洋哲学の特徴~構造的な欠陥として、「心」「意識」のモデル化が稚拙であり、経験に裏づけされていない問題がある。
    具体的には、自分自身を観察する技術、テクニックが乏しいので、検証方法が弱いこと。

    心と体はつながっている。
    心と体が連動している基点は、「呼吸」にある。
    呼吸は、随意筋と不随意筋の両方にまたがっている。
    呼吸をコントロールすることから入ると、心と体の仕組みを理解していく作業に着手できる。
    つまり、ヴェーダの知識、理解が不可欠なのである。

    ●サーンキヤ哲学
    サーンキヤ学派 - Wikipedia

    サーンキヤ学派とは、インド哲学の学派のひとつで、六派哲学の1つに数えられる。
    世界の根源として、精神原理であるプルシャ(神我、自己)と物質原理であるプラクリティ(自性、原質)という、2つの究極的実体原理を想定する。
    厳密な二元論であり、世界はプルシャの観照を契機に、プラクリティから展開して生じると考えた。

    サーンキヤ学、あるいはサーンキヤとも。また(サーンキヤ)は「数え上げる」「考え合わせる」という意味で、数論派、数論学派とも。
    夏目漱石に影響を与え、無関心こと非人情をテーマにした実験的小説『草枕』が書かれた。



    西洋哲学で、「心」「意識」と呼んでいるものは、さらに分割可能であった。
    ・プルシャ(真我、アートマン)
    ・プラクリティー(自性、トリグナ)
    が結合して、心が形成されている、と見れば説明可能な事象が多い。(唯物論や唯心論は統合可能)

    ●時間とは?
    時間とは、「変化」によって生じる要素である。
    変化が一切なくなった状態では、時間が停止している。(もしくは時間を計測することができない)
    「変化」という事象は、トリグナの転変によって生じている。つまり、観察者の主体である真我の側の事象ではないのだ。
    止まっていても、止まっているままの対象を観察することは可能である。
    (=ビデオの再生を停止して、静止画が表示されたままになっているかんじ?)
    トリグナをどのように使うかを設計して、トリグナを動かせば、変化が生じる。

    (まだ、私自身がトリグナを自由自在に操作できないので、サーンキャの理論は仮説の一つに位置付けているに過ぎない。)
    (他の理論と比較検証した結果では、無矛盾な論理を構築できるので、有力候補に採用している。)
    サーンキャ理論の良い点は、これを自分自身で確認する方法も用意されている点だ。
    確認する方法が用意されているのなら、確認してみれば良いだけの話である。(明快)

    ●利益/不利益の最終選択者は自分
    自分が何を得て、何を得ないのかは、最終的に「今、自分が何を選択して、実行するか」で決まっている。
    どんなに多くの選択肢を提供されたとしても、「今できること」は一つしかない。
    「今何をするか」の蓄積が人生を形成している。

    「神」と「悪魔」という言葉には、様々な定義、意味があるだろう。
    ここでは、
    ・神=自分に利益をもたらす存在
    ・悪魔=自分に不利益をもたらす存在
    と定義してみよう。

    ・自分に利益をもたらす選択をする → 自分自身が神になっている状態
    ・自分に不利益をもたらす選択をする → 自分自身が悪魔になっている状態
    どちらを選択するかで、自分が神にもなり、悪魔にもなっているのだ。

    自分にもたらされる状況を、他人のせいにすると突破口がなくなる。
    自分にもたらされている状況は、自分自身の選択と実行によってもたらされていると認識できれば、「今の自分」をチェンジすることで突破口が開かれる。

    グノーシスでは、神はどこか他所に存在している他人のような者ではなく、自分自身が神になっていくことを想定している。
    (あるいは、自分が神の分身になる、神と同じ状態になる、と表現することもできる)
    愚者が賢者に成長すれば、悪魔から神に変わる、というわけだ。

    ●人間の仕組み
    世の中には、様々な人がいる。
    あるいは、人間の思考には様々なパターンがある、とも言い換えられる。

    人間の仕組みがどうなっているか?その完全な説明、記述が現段階の科学ではできなかったとしても、依然として人間は存在している。
    人間が存在している事実に変わりがないのであれば、その仕組みを完璧な理論で記述できなくても、人間の存在を受け入れるしか他に方法はないだろう。
    古今東西、人間の仕組みを説明するチャレンジが行われてきた。しかし、まだ完全に統合されるには至っていない。(残念)

    人間の仕組み・行動原理は共通している。
    その人間に異なる情報をインプットすれば、異なる行動パターンを示す。
    同じハードウェアでも、違うプログラムをインストールすれば、違う動作を示すのと同じだ。
    つまり、各人の相違点をもたらす構造に着目すれば、共通点を探ることが可能であることが分かる。

    人間が全知全能になるとすれば、この共通点について理解すれば良いことが分かる。
    であるにも関わらず、なぜ各人の違いに着目して、反目しあうのか?
    それは、一言で言えば「馬鹿」だからである。
    (人間が全知全能には至っていない以上、仕方のないことではあるのだが。)

    ●妄想で時間を浪費する愚者
    たまに、どうしようもないアホがいる。
    神や悪魔について考察を怠る人々がいる。
    「エクソシスト」「悪魔祓い」等という妄想で遊んでいる連中だ。

    絵や写真に串を刺しにして「悪魔退治だ」等と言って悦に浸る輩は、気が狂っている。
    そんなことをしても全く生産性はない。現実の現象を変える力は微塵もない。因果の説明/証明もない。
    現実の現象が、どのように展開されているのか?まるで分かっていない。

    神や悪魔が自分の外部にいる存在ではなく、内部の存在ならば、自分を変えることで神も悪魔も管理できる。
    なぜ、外部に存在するものと勘違いして、神を愛でたり、悪魔を退治しようとするのか?
    なぜ、自分自身の本質を知ろうとしないのか?
    なぜ、マンガやアニメ、小説、映画、その他の情報媒体で妄想を取り入れるのか?
    なぜ、自分が愚者であることを自覚して、改善しようとしないのか?

    妄想で遊ぶ暇があったら、自分自身を磨くことに時間を使った方が良い。
    妄想に取り付かれた精神病患者には、良い病院を紹介するしか対処方法はないものだろうか?
    少しでも低能なバカが減ることを祈りたい。
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