ようこそ!浜村拓夫の世界へ

    ブログ内検索

    最近の記事

    ブックマーク数の多い記事

    Blog Translation

    Powered By FC2ブログ

    Powered By FC2ブログ
    ブログやるならFC2ブログ


    FC2ブログ LOGIN

    with Ajax Amazon

    スポンサーサイト

    このエントリーを含むはてなブックマーク はてなブックマーク - スポンサーサイト あとで読む
    上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
    新しい記事を書く事で広告が消せます。

    ミネルバのフクロウ

    このエントリーを含むはてなブックマーク はてなブックマーク - ミネルバのフクロウ あとで読む
    「ミネルバのフクロウ」という言葉があった。

    人生に物語は要らない

    行動の理由なんて事前にいくら用意したところで、たいていの場合、それは建前やこじつけでしかなく、本当のところは後になってからしかわからない。
    ミネルバのフクロウなのだ。
    後になってからしかわからないなら、後になってから知ればいい。



    未来とは「予想」するものではなく、「創造」するものである。
    理論上は、自分が思い描いたことを100%実現できれば、未来予想は100%当たることになる。

    しかし、自分の思い通りに100%実現できる人はいない。
    だから、100%の未来予想もない。
    あとになってみないと、未来が分からない理由は、人間の能力に限界があるからだろう。

    その観点から「ミネルバのフクロウ」の例え話を考察してみよう。

    ミネルバのフクロウ - Google 検索

    (参考)
    「ミネルヴァの梟は迫り来る黄昏に飛び立つ」の意味を教えてください。 - Yahoo!知恵袋

    その言葉はヘーゲルの「法の哲学」の序文の末尾にある言葉です。
    中央公論社の「世界の名著」シリーズの「ヘーゲル」に出ています。
    その意味するところはヘーゲルにいわせると以下のとおりです

    「哲学はもともと、いつも来方が遅すぎるのである。哲学は…現実がその形成過程を完了して、おのれを仕上げたあとで初めて、哲学は時間のなかに現れる」
    「存在するところのものを概念において把握するのが哲学の課題である。…個人にかんしていえば、誰でももともとその時代の息子であるが、哲学もまた、その時代を思想のうちにとらえたものである」

    以上で、私から付け足すことはほとんどありませんが、要するに哲学は時代精神を、人が見ることが出来ないものを、過ぎ去ってから目に見えるように取りまとめたものだといっています。

    ミネルバの梟、つまり哲学は、時代が終わってから夕暮れ時に、つまり黄昏に飛び立つ、つまり哲学として形成します。
    哲学者は預言者ではありませんから、未来のことは分かりません。それを論じることも出来ません。
    哲学は、今あるか、過ぎ去った時代精神を、後から概念に取りまとめ、それを人に目に見える形で示すことしかできません。

    ヘーゲルはそういっているのだと思います。

    「ミネルバの梟」は訳者の説明によればギリシャ神話の女神アテナのことで、知性の擬人化だということです。
    梟(ふくろう)は、その女神のシンボルです。



    ミネルヴァのフクロウ

    ローマ神話における知恵や英知、洞察力の女神ミネルヴァは、ギリシア神話ではアテナエに相当する。
    ミネルヴァの肩には知性や英知の象徴としてフクロウが止まっている。

    フクロウは夜行性で、通常人が活動する昼間は眼を閉じて眠っている。夜闇が近づく夕暮れになると、フクロウは眼を開けて羽ばたき始める。そして、夜の闇に飛び立っていく。

    それは、知性とか知恵、英知、洞察力や思考力を意味するものだという。つまり最盛期を過ぎて衰えが目立つようなときになって、人はようやく知恵や洞察力を獲得するものだということらしい。

    ドイツの哲学者、ヘーゲルは「ミネルヴァのフクロウは夕暮れに羽ばたく」と述べている。
    この言葉は、歴史主義的で総体主義的な認識論の方法論を示すものだという。
    認識の対象となる存在を総体的=体系的に認識できるようになるのは、その存在が十分に成長・発展して、むしろ衰滅へと向かい始める(晩期の)局面だというのだ。
    そのとき、存在自体の内的な体系性が外部から観察・分析できるほどに成熟しているというのだ。
    それと並行して、認識する人間の側も知的に成長し成熟し、肉体的には下り坂に向かう頃だという皮肉も込められているようにも思える。



    夜行性のフクロウは、昼間は休息していて、夜になると活動する。
    人間の叡智も、人生の最盛期には未熟で、衰退期に熟成する、という例え話らしい。

    もしも、タイムマシンがあったら、未来の自分が現在の自分のところにやってきて、アドバイスができるだろう。
    しかし、現実にはタイムマシンがないので、現在の自分がノーヒントで考えなければならない。

    大変だけど、未来の自分からメッセージを受け取るつもりで、考えていくしかない。
    遥か遠い未来の自分は、完全な叡智を獲得しているかもしれない。
    (人はそれを神と呼ぶのだろうか?)


    法の哲学〈1〉 (中公クラシックス)
    ヘーゲル
    中央公論新社
    2001-11-01
    ¥ 1620
    関連記事

    コメント

    コメントの投稿


    管理者にだけ表示を許可する

    トラックバック

    トラックバックURL:
    http://hamamuratakuo.blog61.fc2.com/tb.php/1461-cd8f2bda

    FC2Ad

    上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。