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    ブータン農業発展の功労者・ダショー西岡京治

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    ブータンという国の農業の発展に貢献した日本人がいました。
    西岡京治さんという農業の指導者です。

    西岡京治 - Wikipedia

    西岡 京治(にしおか けいじ、1933年〈昭和8年〉2月14日 - 1992年〈平成4年〉3月21日)は、海外技術協力事業団に所属して活動した日本人農業指導者、植物学者。
    ブータンの農業の発展に大きく貢献し、「ブータン農業の父」といわれる。
    ブータン国王から「最高に優れた人」を意味する「ダショー」の称号を贈られ、現地ではダショー・ニシオカとも呼ばれる。



    ブータン - Wikipedia

    ブータン王国(ブータンおうこく)、通称ブータンは、南アジアの国家。北は中国、東西南はインドと国境を接する。国教は仏教(ドゥク・カギュ派)。民族はチベット系8割、ネパール系2割。公用語はゾンカ語。首都はティンプー。
    国旗はその模様が複雑で、竜のうろこが細かく描かれている。国花はメコノプシス=ホリドゥラ、国樹はイトスギ、国獣はターキン、国鳥はワタリガラス、国蝶はブータンシボリアゲハ。
    長年鎖国政策をとっていたが、1971年に国連加盟。翌年に国民総幸福量という功利主義を採用し、開発独裁につなげた。国連加盟諸国のうち、第二次世界大戦以降、アジア諸国で対外戦争や内戦・動乱を経験していない国はこのブータンと日本の二か国だけである。




    ●西岡京治の功績紹介

    ダショー西岡の遺志を継ぐ | 2011年度 | ニュース - JICA

    ダショー西岡の遺志を継ぐ
    -国交樹立25周年を迎えたブータンとJICAの支援-
    2011年12月06日

    国賓として11月中旬に来日したブータンのジグミ・ケサル・ナムギャル・ワンチュク国王とジェツン・ペマ王妃。6日間の滞在中、被災地を訪れ祈りを捧げるなど、多くの人々と交流し、日本中にさわやかなほほ笑みをふりまいたのは、記憶に新しいところだ。

    国葬をもって送られたダショー西岡
    そんな両国の関係を語る上で欠かすことができないのが、1964年のコロンボ・プランで、海外技術協力事業団(現JICA)の農業専門家としてブータンに派遣された西岡京治氏の存在だ。当時、ブータンはほぼ鎖国状態にあったが、西岡氏は稲の栽培技術や新しい品種をブータンに持ち込み、現地に溶け込んで粘り強く指導を重ね、2年の任期が終了した後もブータンにとどまり指導を続けた。初めは、農業局の役人たちも半信半疑で見守っていたが、西岡氏は「収穫高」という目に見える成果を上げ続けることで、徐々にブータン人に受け入れられ評判になった。やがて、首都ティンプーの西にあるパロ盆地で導入した並木植えによるコメ作りが広く普及し、一気にブータン農業の近代化を推し進めることになる。

    西岡京治

    西岡氏の貢献は、農法だけにとどまらず、食生活の改善、架橋による流通の促進、地域開発にまで及んだ。1980年、西岡氏はその貢献を高く評価され、現在の国王の父であるジグミ・シンゲ・ワンチュク第4代国王から「最高に優れた人」という意味の名誉称号「ダショー」を、外国人として初めて贈られた。1992年、西岡氏が現地で亡くなった際には、農業大臣を葬儀委員長として国葬が執り行われ、ブータン全土から多くの人々が集まり、その死を悼んだ。「ブータン農業の父」として、ブータンでダショー西岡を知らない人はいないといわれる。




    columnI-2 ブータン農業に改革を~ダショー西岡がブータンに残したもの

    ブータンにおける西岡専門家の活動は、1992年に現地で亡くなるまでの28年間に及びますが、1980年には、それまでのブータンに対する貢献を評価され、ブータン国王より外国人として唯一ダショーの称号を授与されています(注:ダショーは通常各省次官・県知事級の者に授与される称号)。
    ブータンにおいては、ダショー西岡の意志を受け継いだ人たちが、現在ではブータン政府・関係機関の要職を占め、ブータン農業の発展のために日々活躍しています。




    国王からも爵位。日本人「ニシオカ」はなぜブータンで国葬されたのか? - まぐまぐニュース!

    1992(平成4)年3月26日、ブータンで1人の日本人が国葬に付された。30年近くも同国の農業振興に尽くして、「ブータン農業の父」と呼ばれた西岡京治(けいじ)である。葬儀委員長は農業大臣のレキ・ドルジ氏。ブータン西部のパロ盆地を見渡せる丘につくられた葬儀場で、なきがらは荼毘(だび)に付された。

    おおぜいのラマ教の坊さんたちによる読経が果てることなく続いた。葬儀には5,000人もの人々が弔問に訪れ、西岡の妻・里子と娘の洋子は、和服に似た民族衣装キラに身を包んで、人々のお悔やみの言葉を受けた。




    西岡京治 - NPO法人 国際留学生協会/向学新聞

    ブータンで最も尊敬された日本人
    国際協力事業のモデルとなる  身の丈にあった開発を

    神秘の国ブータンで、一人の日本人が28年間、農業技術指導を行った。農作物の生産力を飛躍的に増大させ、若いリーダーの育成に成功した。一人の日本人の「無私の貢献」がブータンの未来を拓いた。ブータンを愛し、ブータンのために生き、ブータンのために死んだ西岡京治は、日本人の誇りである。




    「言葉で教えるのでなく、自らやってみせる。」:ダショー西岡京治氏の貢献 | <幸せの国:ブータン発> ~体育ボランティア日記~ | JICAボランティアの世界日記

    西岡氏は稲の栽培技術や新しい品種をブータンに持ち込み、実情に即した斬新的な援助を行いました。

    西岡氏の貢献は農業だけに止まらず、<食生活の改善><架橋による物資流通の促進><地域開発>にまで及びました。
    例えば古いつり橋を付け替える際も、耐久性に優れたワーイヤー・ロープのつり橋により作り替えました。それは費用が安価で済むという点もありますが、地元の架橋技術を生かす事ができる点を重視した結果によります。

    ダショー西岡氏の人々への姿勢は、「言葉で教えるのでなく、自らやって見せる。」であり、その貢献は「身の丈に合っていなければ、根付きはしない。」という理念に基づいて行われました。また、「技術をどれだけ移し終えたかではなく、農民の気持ちをいかに変えるかが大事。」とも仰っていらしたそうです。



    西岡京治さんは、素晴らしい理念をお持ちの方だったんですね!
    私も見習いたいと思います。

    ブータンの朝日に夢をのせて―ヒマラヤの王国で真の国際協力をとげた西岡京治の物語 (くもんのノンフィクション・愛のシリーズ)
    木暮 正夫
    くもん出版
    1996-12
    ¥ 1,296


    ブータン神秘の王国
    西岡 京治 / 西岡 里子
    NTT出版
    1998-11
    ¥ 1,728


    ブータンの花 新版
    中尾 佐助 / 西岡 京治
    北海道大学出版会
    2011-12-10
    ¥ 4,860


    そういえば、カンボジアで名誉称号を授与されたヤクザもいましたね?

    後藤忠政 - Wikipedia

    後藤 忠政(ごとう ただまさ、1942年9月16日 - )は、日本の元暴力団員。20世紀から21世紀の初頭に掛けて活動したヤクザ。

    引退後
    2011年頃よりカンボジアに移住し、プノンペンの高級マンションに居住。カンボジアでは養鶏場経営などの実業を手掛けるとともに学校建設などボランティア活動も行っており、2012年末にはカンボジア国籍を取得し、伯爵に相当する『アジャ』の称号を授与されアジャ忠叡を名乗る。カンボジア政府高官に人脈を築いて、国会議員を目指すことも考えているという。2016年3月下旬には検査入院のため日本に一時帰国したと報じられている。




    カンボジアで伯爵になった元ヤクザ組長 後藤忠政元組長とはどんな男なのか? - NAVER まとめ

    カンボジア人になっていた後藤忠政元組長

    カンボジアという異郷の地で市民権を獲得、そればかりかフン・セン首相の与党・カンボジア人民党党員としても活動し現地での”貢献”(赤十字や孤児院、病院などに合計1億円の物品寄付)がみとめられてシハモニ現国王から爵位(オギャ=oknha)を授かっていた。ヤクザの世界を経て、第二の人生をこれほどドラマチックに歩む人物はいない。




    飲ませ食わせ抱かせ…カンボジアに進出した暴力団の現場ルポ│NEWSポストセブン

    2012.09.07
    昨年より施行された暴排条例により日本では「カタギ」との接触が厳しく制限される暴力団にとって、カンボジアは楽園だという。

    暴力団がカンボジアのパイプ役に政治家、軍部、警察幹部などを選んでいるのは、国家の持つ暴力の力を熟知しているからだ。日本国内で警察から弾圧され続けても刃向かわず、面従腹背してきただけあって、カンボジアでの暴力団は暴力装置を持つ、もしくは動かせる人間にしか投資しない。

    冒頭の例もそうだが、暴力装置の占有者たちをたらし込む最も効果的な手段は現金という実弾である。こうした場面での暴力団はまことに気前よく、また侠気に溢れている。数ある国家の中でカンボジアに目を付けたのも、汚職が蔓延し、なにもかも金で解決できるからだった。もちろん投資した金を回収する算段は幾重にも計画されていて、さすがプロだと唸らされる。

    「ワイロは物事を頼む度、別途入り用になる。内容によって違うが、俺の場合、3000ドルから5000ドルが平均だ。悪いなんて感覚、ヤツらにはねぇ。給料は最初から立場を利用して金を稼げといわんばかりに安いし、敬虔な仏教徒が多いカンボジアだが、仏教的にも感謝の気持ち、お布施ってわけで問題ないんだろう。



    ・札束ビンタでカンボジア人を手懐ける。
    ・農業で貢献してブータン人の尊敬を得る。

    随分と対照的な事例ですね?

    憚りながら (宝島社文庫)
    後藤 忠政
    宝島社
    2011-05-12
    ¥ 637


    Amazon.co.jp: 憚りながら (宝島社文庫)の xyzさんのレビュー

    肝臓移植の順番に割り込んでそれを自慢気に話したり、無防備の一般人を襲撃したことを当たり前と平気で宣いながら得度とは一体どこに接点があると言えるのか?敵に背中を向けるのは卑怯と著者は言うが無防備の人間を刃物で襲うなどそれ以下である。爽やかさのかけらも感じられない本である。
    順番待ちだった堅気の患者が哀れである。存命であることを願っている。
    確か講談社にも似たような屑本があった。

    追伸
    「チンピラだった」と過去形ではなく「チンピラだ」と現在形で書くべきだな。徹頭徹尾人間の屑。ある意味凄い。
    知り合いのフォリナーがヤクザと坊主は弱者にたかるといっていたが、こいつはそれを見事に体現している。

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